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ステロイドとモラル
 昨年引退した後藤孝志が自身のブログにてステロイドを容認する発言をしたということで、ネット上では物議がかもされています。後藤氏はニューヨーク・ヤンキース傘下の1Aタンパ・ヤンキースにコーチ留学中なのですが、そこでドーピングの検査を見て6月20日にブログでステロイドに対する自分の考えを述べました。現在では削除済みですし、引用するにしてもあまり判然とした文章ではないので、要約させていただくと

 「休みの前にドーピングの検査があって自分が思うところ、ステロイドがなぜいけないのかよくわからない。たしかに健康に悪い、野球も国際試合も増えてきた。五輪で野球が無くなるのはおもにそのステロイド使用と国籍のせいだ。だからアメリカの代表選手はいつもアマチュアで構成されている。
 じっさいステロイドを使ったからといって活躍できるわけじゃないのだ。それでも寿命を削ってまで成績や技術の高みを目指すのが「プロ」というものじゃないのか。この考えは間違っているだろうか。自分には家族がいたのでステロイドの使用はしなかったが、もしいなかったら確実に使用していたし、今でも(使用しなかったことに)少しだけ後悔がある。「それ」までして成績をあげたいというのは普通だと思う。すいません。これは日記なので正直な意見を書いてみた」

 と、おおかたこんな論調でした。ほんとうは断言口調ではなくて、もっと、既存のルールと自分の考えとの差異に混乱し悩んでいる感じがあり、その主張も遠慮がちに「・・・」が語尾に付くのですけど。

 後藤氏の意見を出して、ぼくは糾弾や批評にかこつけた中傷をやりたいのじゃない、ということをまず言っておきます。元プロ野球選手の後藤氏がこのような発言をした背景に、一般人であるぼくらとプロスポーツ選手の、どうしようもない隔たりがあるのを今回の問題は如実に表わしており、興味深いと思ったのです。

 では、あらためて聞いてみますが、ステロイドの何がいけないのでしょうか? 「ルール違反だから」というのはその通りですが、そんな長いものには巻かれろ精神では倫理も正義もあったものじゃない。「パパー。なんで人を傷つけちゃいけないの?」と子どもに問われて「法律で決まっているからさ!」と答えるようなものです。そんな怠惰な父親イヤです。子どもがひねくれる危険性有りです。

 ルールに規定される、法律が成立する――そういったある行為についての制約が共同体で認められることを「法化」といいます。ぼくらは明確な論拠は無いながらステロイドなどのドーピングが悪い、許されないと思っていて、その意識は法化するまでに達している(この状態を「法的確信」といいます)事実を考えれば、後藤氏は掟破りなわけで当然に攻められるべきですが、ではなぜ後藤氏はこのように不用意な発言をしてしまったのか。ブログが単なる一冊の日記とちがって不特定多数が閲覧可能な、公共性を持った表現媒体であると充分にわかっていなかったためでもあるでしょう。しかしそれだけではないはずです。

 ステロイドの禁止される論拠とは何か。
 この問題に関して近藤良享=編著『スポーツ倫理の探求』は、非常に役立つ本のひとつです。第一章ではドーピング問題が取り上げられており、その中で驚くべき記述があります。

スポーツ倫理の探求
スポーツ倫理の探求
近藤 良享

 WADA(世界アンチ・ドーピング機構)スタッフだったシュナイダーがその立場を顧みずに、「ドーピングを禁止する論拠はまだ見つかっていない」と公言したことに象徴されるように、正当化できる禁止理由の提示を含めてドーピング問題には非常に多くの課題があるようです。(39ページ)

 後藤氏を無知だ、倫理観が欠けている、ホモっぽい、自打球で死ねと罵倒するのは容易い。しかしながら上記のように、世界中の識者を集めてもドーピング(ステロイド)の「正当化できる禁止理由」は提示されてはいないわけです。解釈上の論拠の不統一ではありません。つまり、もしかすればドーピングは後藤氏の言ったとおり悪いことではないのかも知れない、その余地は残されているとも言えるのです。

 と、ここまで書きましたが、やっぱりステロイドは容認されるべきじゃないとはぼくも感じます。論理的思考の苦手なぼくがやるとわかりにくくなりそうですが、一般に有力とされているドーピング禁止の論拠を提示していきましょう。そのあとで今回の後藤氏に対するぼくの擁護的な意見も書いていこうと思います。
 

 (1) ドーピングは健康に悪い
 スポーツはそれを通じて健全な肉体と精神を養うことを目的としている。一方ドーピングは成績や技術と引き換えにみずからの肉体を破壊する(後藤氏のことばで言うならば「寿命を削る」)行為であり、ゆえに禁止されるべきだ。

 (2) ドーピングは公平性を損ねる
 スポーツは競技者が各々、公平な条件下であらねばならない。一部のみがドーピングを行うのはこの公平性に背くことになる。ゆえに禁止されるべきだ。

 (3) ドーピングはスポーツする喜びや楽しみを失わせる
 スポーツは喜びの源泉だ。スポーツの本質は楽しみ(プレイ)に見出される。それらは生まれ持った才能のみで生じるものではなくて、みずからの意志にもとづく努力によってこそ生じるものであろう。ドーピングのような不当な行為では、純粋にスポーツの喜びを得ることはできない。ゆえに禁止されるべきだ。

 と、主に(1)(2)が論拠として有力とされています。危うく、たしかにそうだなあ、とうなづき認印を押してしまいそうです。しかし、ほんとうにこの論拠が理由でぼくらはドーピングを禁止にするでしょうか。これらについての反論。

 (1)についての反論。あらゆるチャンピオンスポーツ(競技)は、じっさいのところ、競技それ自体が肉体に対し破壊的だ。ケガ、病気、故障はスポーツについて回るもの。つまり健康を理由にドーピングを禁止するのに、スポーツはいいというのは五十歩百歩的な考えで、おかしくはないか。

 (2)についての反論。ドーピングが公平性を損ねるというが、たとえば、強力な後ろ盾のある選手は、研究と実験を重ねたすえに出来た用具を使っているが、それは公平性を損なわないか。また、公平性を確保されれば全競技者にドーピングを解禁してもよいことにもなりはしないか。

 (3)についての反論。スポーツをどう楽しむかは主観的な問題であって、論理の問題ではない。元よりドーピングは、使用すればマッチョになるポパイのほうれん草のごときものではなく、むしろよりいっそうの筋力トレーニングを必要とするのであって、その意味では努力をしなければならないのは事実だ。

 三つの反論は、(2)はわからないけれど、後藤氏の書いた意見とほぼ符合すると思われる。寿命を削ってまでも肉体の限界に挑戦する、成績をあげて勝利に貢献する――この考えはえげつない。しかし純粋にスポーツマン的だと思うのです。そこらのぬるま湯に漬かっている人間ではなく、現実に一流のプロ野球選手であった後藤氏だからこそ、先のブログでの発言が出てしまったのだと思います。一般人の考える理想のスポーツのありかたと、本当のスポーツのありかたの隔たりが、ドーピング問題を厄介にしているのではないかと。ぼくは、後藤氏のように口には出さないまでも、内心では同じように、「ステロイド・・・何がいけないんだろう?」と、混乱している選手は多くいると思っているのですが。
 
 スポーツでもっとも芯になっている部分は何かを考えたとき、ぼくは「肉体の限界に挑戦して、競技の相手より優っていることを示す」ことだと思っています。すなわち競技者は「勝利を目的とする」につながります。『健康』や『喜び』とか『豊かな人格形成』を芯とするのは理想論で、あいまいさがあるし、何より実際的でないと思うのです。
 しかし、前者の考えでいけばドーピング行為はなんら問題のないように見えます。ドーピングは人間の肉体の限界に挑戦する努力とはちがうものか。後藤氏の考えは正しくはないか。……困ったことになりました。ここでひとつ、ドーピングを限定的に容認する意見が啓示的な役割を持ってくるように思います。

 (4) ドーピングは社会悪
 スポーツは社会の一部分である。そうなるとステロイドなど危険な薬物を使用するドーピングは社会全体を考えたとき、薬物の蔓延のきっかけになりかねない。ゆえに禁止されるべきだ。
 (4-但し書き> もし認めるとするならば、判断力のない青少年に対してはドーピング(ステロイド)を禁止して、自己に責任を負える大人にかぎればいい。

 この立場をとっている人はネット上で見渡してもけっこう多いんですよね。「プロ」であるなら自己決定にもとづいてやればいい、と。でも、やっぱりぼくには胡乱な「感じ」をおぼえてしまう。後藤氏がなお批判されるとすれば、そこに答えはあると思います。

 (4)についての反論。自己決定権のある大人なら使用してもいいと言うが、それはすでにスポーツと呼べるだろうか。スポーツには「人間」が行うという大原則がある。ドーピングは大原則の「人間」のあり方から外れる思想がある。スポーツは「肉体の限界に挑戦して、競争者に優越を示す」ことに意味があるならば、究極的には遺伝子操作によって生まれた、強靭な肉体と素晴らしい技術と揺るがぬ精神力を備えたスポーツするロボット、サイボーグ、機械人間が最終形となる。しかしそれプレーの何か面白いだろうか。それらは強いのも速いのも上手いのも当然だ。「離れ業」「人間業ではない」という賞賛は、それらには当てはまらない。それらはすでに「人間」ではないと思われるからである。通常一般人はそれらに感情移入する余地がなくなる。
 
 スポーツをするものは「強靭な肉体と素晴らしい技術と揺るがぬ精神力を備え」たいと思って努力するけれど、生身の人間であるかぎり、どうしても人間的弱さが首をもたげてくるはずです。だからこそぼくらは、その弱さを克服したスポーツ選手に驚き、憧れ、尊敬する。ドーピング思想はそういったスポーツするのは人間だから完璧な機械にはなれない」という保障、一種の歯止めを取り外す契機になりうる。ドーピングに対するぼくらの嫌悪感や抵抗は、ステロイドを使用したスポーツ選手を「化け物」「サイボーグ」と罵るように、人為的な人間機械化の危険をそこに察するからだと思います。


 まとまり無なかったですが……結論として、ぼくは後藤孝志という人が、ルール違反だから〜などの理由でステロイドなどのドーピング禁止について思考を停止させずに、疑問を呈したのはとても意義のあることだと思います。スポーツ選手は限界に挑戦して完璧な機械、換言すれば超人になりたいのだから。この願望はとてもスポーツマン的ではないでしょうか。だとすれば今回の騒動、ぼくは後藤氏ひとりを槍玉にあげるのは酷ではないか、むしろ批判はスポーツそれ自体に向けられるべきではないか、とぼくは偉そうにも思ったのでした。

 
 参照: 後藤孝志 NYヤンキース留学日記 『GOTOH Ball Park

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